起業だけでもない時代

選択肢が山ほどある時代

私自身は福岡で会社を経営しつつ、正社員として東京の会社で勤めていて、複業で2社ほどお手伝いをしている。限られた時間なので、「ホントにやりたいことに集中すべきでは」と言う声もチラホラ聞く。そんな背景を今日は少し書いておきたい。特にメッセージではなく、今日は独り言です。

何のために仕事をしているのか。仕事を通じて何がしたいのか。今、何をするべきか。何度も何度も、いつもいつも、頭の中で考えていることです。日頃、「考える前に、とりあえず動く」を自負している私ですが、それは、いつもいつも、ふとした時にはずっと何かしら考えているからです。何のために仕事をしているのかは、一番大きいのは、お金を稼ぐためです。お金が要らない社会だったら、たぶん仕事はしないです。そして、何か仕事をするなら仕事を通じて何がしたいのか、それが広く社会に貢献するためです。つまり、お金が要らない社会であれば、ただ単純に社会に貢献できること、世の中のためになるであろうことをシンプルにやると思います。それで儲けなくてもいいので、やりたいことをやるだけ。なので、この順番は非常に大事です。お金を稼ぐために仕事をしていて、仕事としてやることは社会に貢献できること、です。

生活と仕事のバランス

上の画像のようにきっちりバランスが取れているかと言うと、私は昔から非常にバランス悪いです。上のようなことをずっと考えていて、社会や世の中の役に立つことを仕事としてやっているので、圧倒的に仕事に傾いてしまいがちです。そのため、意識的に自分の中でのバランスを取ろうと、きっちりハメは外すし、遊びにも熱心です。何となく何もしない休みってのも無いです。女性のいるお店でお酒を飲んでどんちゃん騒ぎして、そのまま持ち帰ってどんちゃん騒ぎ、って人です。絵に描いたように「今だけを生きてる」ので、将来のための計画的な貯金をしているわけでもないし、稼いだら稼いだ分だけ使ってるし、ホントにオススメできない人材です。でも、ホントに100%後悔の無い、充実した毎日を選択して過ごしている人です。

お金を稼ぐことは嫌いではありません。それが目的で仕事をしているので。ただ、稼いだだけ使うのがモットー(古い言い方で言うと、宵越しの銭は持たないってヤツ)なので、いっぱい稼ぐ必要もあります。投資ももちろんしています。(ビジネスパーソンとしてではなく)ユーザーとしてのITリテラシーは高いので、お金稼ぎの情報はそれなりに入手しているし、複業の一つとして投資やFXもチョロチョロとやっています。

例えば、FXはやらない方がバカだと思ってます。為替も暗号通貨も常に上下するので、その上下のタイミングを知ったら、売るか買うかレバレッジをそこそこ効かせて稼ぐのは、もはや当たり前のことになりました。昔は、投資と言えば身を滅ぼすギャンブルの典型でした。その後、情報商材屋さんが暗躍して、今は一周して、いろんなところに情報が出ていて、(お金を払えば確実に)お金を払わなくても何とか情報は入手できる時代になりました。皆さんも、お給料日後とかお金に少しだけ余裕があるときに、飲み会1回分ぐらいの投資をしてみることをオススメします(最初はデモ体験もできるのでお金を掛けたつもりで遊んでみるのが更にオススメ)。

あなたの寿命はあと何年ですか?

私の学生時代の同級生たちは、(それが普通なんだけど)ホントに尊敬するほど計画的に人生を過ごしています。大きな間違いは無いし、トラブルも無いし、とても堅実です。この先、10年20年は予定通りに進んでいくんじゃないでしょうか。私のような無計画な行き当りばったり人間からみると、ホントにすごいな、オレにはできないな、って思います。いざという時にクレジットカードさえ持てないような、社会的に信用がない私からすると、対極の人たちです。

でもね、この約2年間、いかに堅実な人でも全く予測できなかったことが世界中で起こりましたよね。社会全体、特に経済面では大きな打撃を被った経営者も多かったはず。しかも、その間に世界のテクノロジーが激しく進化を続けて、ホントにこの2年間は大きく世の中が動いた、変わった、2年間でした。そして、先が見えない時代だからこそ、人の考え方もより明確に分かれた時代だったと思います。真っ二つに分かれました。

★先が見えない時代だからこそ、冒険などせずに、更に更に堅実に守りに入る人。

★先が見えない時代だからこそ、全力で前例のない高い高いハードルに挑む人。

私はもちろん後者ですが、周りの誰もが前者を勧めます。今は動いちゃダメだと。でも、歴史は私にそうは言わないんです。誰もがダメだという時こそがチャンスであって、世の中が変化している時に今の場所に居続けることは相対的に後ろに下がっていることでしか無いと。前に進むことこそが生きている意味だと。

更に、私が常に肝に銘じていることがあって、それは、明日、私は死んでるかもしれないということ。明日とは言わず、10分後に死んでるかもしれない。世の中、コロナのことばかり言ってるけど、交通事故で亡くなる人の方が圧倒的に多いんです。いつ、暴走者に激突されるかもしれない。命なんてそんなモンだと思ってます。その一方で、平均寿命が何歳だろうが、私自身は100歳まで生きると決めている。そんな真逆なことをいつも肝に銘じてます。なので、どれだけ空振りをしても打席には立ち続けるし、バットは振り続けるし、ホームランを狙い続ける。打たれても打たれても、ボールは投げ続けるし、おかげさまで肩だけは丈夫なので、何球でも投げられるんです。そういう生き方が好きで好きで仕方がないんですね。中学生の頃、自分の将来を考えていた頃、ワクワクしていたのと同じ感覚で40年後もワクワクしています。

いつでも「お金はあとから付いてくるもの」

お金があればあるだけ使っちゃう人、と言うと、いかにも贅沢してそうとか、お金にルーズとか思われますが、実は普段の生活は意外と質素です。食に造詣がないというか味覚音痴ってほどじゃないけれど、味覚に繊細さが無いんです。たぶん、母親が料理があまり得意ではなく、小さい頃は外食の経験がほとんどない家庭だったので、味覚が育たなかったんだと思います。高校生になってから外食をするようになって、食べ物が美味しくて驚きました。18歳の頃、知り合いの俳優さんに生まれてはじめて焼肉屋さんに連れて行かれて、ホントに衝撃を受けたことを覚えています。大声出して驚きました。某・有名な俳優さんでしたが、そんな私に驚いて、えらく気に入ってくれました。

ちょっと脱線しましたが、食べ物にあまり興味がなく、日中は仕事ばかりしているし、完全リモートワークなので通勤しないので服装も身なりもまぁ適当です。なので、友達とお酒を飲んで、どんちゃん騒ぎして、酔っ払って、女性とワチャワチャして、ってことぐらいです。運動も好きじゃないので、身体を動かすのもSEXぐらいですし、あまりお金は普段は使わず、遊ぶ時に一気に使っちゃう人です。

でも、今まで、常にお金があったわけでもなく、常に無かったわけでもなく、浮き沈みの激しい、ジェットコースターのような経済状態です。沈む時は仕事で失敗したときなので、次に成功すれば回復すると分かってるので、仕事を頑張って、回復する、ということを繰り返してます。結局、お金を稼ぐ方法って、今どきはいくらでもあるので、あまり危機感はなくて、楽しく仕事をしていたらどんどん収入って増えてるな、逆につまらない仕事に振り回されているとお金無くなってるな、って感じがしてます。リモートワークになって、ホントに無駄なことをする時間が減ったおかげで、冒頭に書いたようにいろいろと考える時間が増えたので、そろそろ人を使ってお金を稼ぐお手伝いをしてもらって、同じ24時間で稼ぐ金額を増やしていこうと思ってるのが最近です。できれば、それがプライベートでもパートナーだったら楽しいなと思うタイプです。

これからの方向性

SDG’sと言えば、どれも大切なことばかりですが、特に5を始めとする差別のない社会、多様性を本気で許容できる社会がこれから私が目指すところです。性別・学歴・職歴・国籍・住所・趣味・宗教・身長・体重・容姿などなど、単なる個性の一つでしか無い、単なる印や記号でフィルターにかけることから始まる関係性なんてホントにクソです。気が付けば、世の中のほとんどが最初にフィルターでふるいに掛けることから始めてます。それが当たり前だから、差別意識がなく差別するようになっちゃったんでしょうね。カースト制度のように明らかな差別であれば、する方もされる方も差別って分かってるので、明確なんです(良い悪いとは別の問題で)。いろいろな違いがあるのは当たり前で、それぞれの存在を受け入れることから始まるのに、最初に見えない選別をすることから始めるから。。

私自身も子供の頃はもちろん普通に愚かだったので、知識もなかったので、差別とか理解もしてなかったので、今思えばめちゃくちゃ差別してました。小学校の頃はクラスメイトに親がルンペン(今で言うホームレス)の人がいたんですが、正確には覚えてないけど、まぁ、めちゃくちゃなことを言ってたと思います。こじき!とか。「女のくせに」とか思ってた頃もあったし、「韓国人は!」とか思ってる頃もありました。全ては知識の無さからくる、己の浅はかさでした。気付いて、自分の意志で変わろうと思って、今はすっかり考え方も変わることができました。間違ったら変わればいいと思ってるし、変わることを恥ずかしいとは思ってないので、これからもまだまだ変わることもあると思います。それほど、この国で甘く生きてきたと思ってるので、これからホントに国境のないグローバルな社会になることを見越して、今のうちに更に更に事実を知って、知識の無さを自覚して、間違いは認めて、考えを改め、多様性を許容できる人になっていかないと、って思ってます。変わること、間違いを認めることは、いくつになっても恥ずかしいことじゃなくて、成長できることは素晴らしいこと、ありがたいことだと思ってます。

今日は仕事に関係のない、メッセージ性ゼロの、独り言を書いてみました。こういうことを書く時って、大きな決断が迫っている予告なのかもしれないです。自分でも決めてるわけじゃないけど、そろそろ何か起こるなって予感です。